もう運動会とか不要な気がするよ

まぁ↓は練習の話だし、いちいち日本の縮図とか言う奴

まじでキモいなとは思うけど。

togetter.com

 

 

そもそも運動会っていらないじゃないかなとは思う。

組体操とか怪我危ないよねってそういう話ではなく、

なんのためにやってんの?ってところで。負の側面の方が多いがするんだが。

 

運動会とは

運動会 - Wikipedia

日本が近代国家を形成する過程において、運動会は大きな役割を果たしたといわれる[誰?]。1つには、地方自治制度の整備や産業化の進展による伝統的地域社会の再編成がすすむなかで地域社会の統合に寄与したことが挙げられる。在学生だけではなくその地域の大人たち、しかも子供を学校に通わせていない大人たちをも含めて運動会に積極的に参加することで学校を中心とする地域社会の連帯を再確認し、強固にすることが可能となった。運動会は従来のムラにおける「ハレ」の場に代わる役割を果たしつつ、地域社会の連帯感の強化に大きな意味を持ったのである。

 

時代は変わったよね。

 

運動会(うんどうかい)は、学校、会社(企業)、地域団体(地域社会)(児童生徒)などの参加者および運営による協力により規定プログラムに従って遂行される体育的な活動行事[1]。体育祭(たいいくさい)などと称することもある。イギリスやドイツの職工体育的行事に起源を有するが、日本における運動会の発足は「国威発揚」「富国強兵」「健康増進」を目的として明治末期から社会的に広く普及[2]したものであることから「近代日本独特の体育行事」[3]であるとされる[4](歴史の節も参照)。

 

まぁこれは学校運動会というより、もう少し広義は運動会だけど、

もう時代錯誤もええところやね。

 

第6章 特別活動:文部科学省

望ましい集団活動を通して,心身の調和のとれた発達と個性の伸長を図り,集団の一員としてよりよい生活や人間関係を築こうとする自主的,実践的な態度を育てるとともに,自己の生き方についての考えを深め,自己を生かす能力を養う。

 

ピピと笛に合わせて行進なんてこと、まだやってるところんじゃない?

統率がとれればそれは協調性になるのか?

 

集団での人間関係なんてばかばかしいね。

ある子供達にとって晴れ舞台かもしれんが、ある子供達にとっては苦痛でしかない。

たまたまちょっと運動が得意な子供への優越感を提供するだけじゃないかしら。

それとも仲間意識が芽生えますか。普段話しない子と友達に新たになれたりしますかね。孤立が加速しませんかね。

 

運動会とは、全学年及び家族の前で醜態をさらす場

人によってはね。

 

子供達からすると、参加を拒否することなんてできないんじゃない?

どうしても運動が苦手な子もいるだろうし、徒競走などでずっこけた日にゃおしまいである。

 

わいは子供がいるんで、なんども親という立場で運動会に参加してきたが、

参加するたびにそういう思いが強くなるね。

 

それこそ子供だった時は、そんなこと一切考えなかったし、足は速い方だったから

いきったりしていた気もする。

 

親という立場で参加すると、目につくのが、

親どもが、ばかみたいにテント作ったり、くそでかいレジャーシート引いて必死こいて場所取りしてるとか、まぁそんなのはどうでもいいんだけど。

 

特に徒競走なんか見てると、やっぱり走りが得意じゃないんだろうなぁって子が、ドカドカと、大差をつけられて一人でゴールしてる姿なんかを見てると、よく頑張ってねとかそんな話じゃすまんやろってこと。

やっぱり同情してしまう。嫌だろうなって。

 

ダンスだってそう。一体感が生まれるかも知れんが、好きじゃないやつからすれば、

たまらん。わけのわからんポーズを決めさせられて、よくわからん踊りをさせられる。

 

そして親どもが嬉々として、動画に納めて、それを家で鑑賞会。しかも親どものしょうもない総評付き。地獄やな。

 

張り切ってやってるやつは、それでいい。運動神経がいい奴もまぁ問題ないやろ。

ただ、そうじゃなくて、そういうの嫌いだったり苦手だったりやつからすると、たまらんイベントが年に一回存在している学校とかマジ馬鹿馬鹿しいところだねとは思う。

 

強制的な集団活動は必要か

なんのために必要か。

そこから協調性や自主性が得られるのか。社会に出た時に役に立つのか。

理不尽が多い社会だが、社会人には選択肢がある。努力で変えられる。

ただし学校の集団行事はどうしようもない。

運動会が嫌なら、運動を得意になれっての馬鹿げた話だ。

強制的なイベント、効果が不明な行事のために、時間を割かせるんだからね。

 

個人的には良い思い出の方が多いかもしれない。

ただ、人によっては嫌な思い出を作っちゃう可能性が高いようなイベントだったら、もうそれは辞めていいんじゃないかなと。

 

海外ではどうなん?やってんの?運動会。調べる気もせんけども。

 

もっと気楽にちょっと体を動かして遊べるような大げさな順位づけもないような

もので十分だと思うんだけどね。

 

なぜ人を殺していけないのか問題

理由などない。

ダメなもんはダメ。

 

死刑 その哲学的考察 (ちくま新書)

死刑 その哲学的考察 (ちくま新書)

 

 

 死刑の是非

人を殺してはいけないのか、だったら死刑はいいのか。安楽死はどうだ。

みたいなそういう話があったりなかったり。

 

↑の本を読むのは非常に頭の体操になる。

 

よく人を殺していいのかと、ある種、意地悪な質問が出て来たりもするわけだけども、

これがなかなか難しい。

 

そういったことについても本書は考えるきっかけを与えてくれた。

 

死刑の是非についてだが、私個人としては死刑自体には賛成である。

その理由としては、刑罰としてというより、犯罪者に対する個人的な感情・怒りが主に先行している。

こんなやつは死刑にすべきだと。

 

例えば、それこそ

www.jiji.com

 

こういう奴は、マジで死刑になってほしいと思う。

全く無実な人がたまたまこんなしょうもない人間と関わってしまったことで、

子供たちを残し二人も死んでしまった。

 

実際に以下のようなブコメも残してしまっているようだ。

東名の夫婦死亡事故、危険運転罪適用し起訴 罰則重い罪:朝日新聞デジタル

マジで死刑になってほしい。一体こんなやつが生きていて一体何の意味があるのか。

2017/10/31 20:00

b.hatena.ne.jp

 

とはいえ、著者に関していうと、実際に死刑容認というわけではないようだった。

あくまで非常に個人的な感情ではある。

 

懲罰としての死刑が成立しない可能性

刑罰として最も厳しい罰として、死刑が位置付けられていると思うが、

実際に、必ずしも受刑する側からするとそうでもないケースがある。

 

例えば、死刑よりも無期懲役の方がつらいという人もいるようだ。

(刑務所の中で、生き続けるよりもいっそ死んでしまいたいというところだろうか。

 

また、死刑になりたいため(死刑制度が存在するがゆえに)、犯罪を犯すというようなある意味で本末転倒な話もあったりなかったり。

(詳細は本書参照)

 

そのため、最も厳しい罰として成立し得ない、また凶悪な犯罪を誘発するという意味では死刑制度が必要ではないのかという話があったり。

 

冤罪の可能性

著者としては、本書のスタンスは一貫して"死刑制度に対する考察"にとどめているつもりかもしれないが、実際のところは、死刑制度に対して反対を表明しているようにも思えた。

 

それが、冤罪の可能性である。

 

そもそも冤罪など100%あり得ない状況にすべきかもしれないが、現行犯ではない限り、様々な要因から100%冤罪をなくすというのは難しいだろうと。

 

ただ、その中で、死刑というものは、取り返しのつかないものである。

冤罪の可能性が1%でもある以上は、取り返しのつかない死刑というものと適用するべきではない

という考え方である。

 

では、現行犯だったら死刑はいいのではないかという話になるかもしれないが、

逮捕の状況によって、刑の重さが変わるというのもそもそもおかしい話であると。

めちゃくちゃ凶悪な犯罪者がいたとしても、現行犯ではないというだけの理由で、最も重い刑罰を当たる事ができないということになったりするので。

 

まぁ確かになぁって感じはする。

 

とはいえ、個人的な感情としては、動機にもよるのだろうが、

やはり人を例えば殺してしまって、その人がのうのうと生きているというのは、

なかなか心理的に受け入れるということが難しい。

 

とはいえ、個人的な感情先行で、あまり死刑制度に向き合うことがなかったので

興味深く読むことができた。

 

人を殺していいのか

という話に戻るが、そもそも理由を考えてしまうことが、結論を遠ざけるような気がしている。

 

"ダメなものはダメ"。ある意味思考停止なようなものであるし、説明責任を果たしてない部分もあるが、道徳的な観点というか、そういう説明できないものというのは、やはり必ず存在していて、この"人を殺してはいけない"というのも、それに含まれるのではないかと考える。

 

例えば、

"悲しむ人がいるから、人を殺し亭はいけない"

"悲しむ人がいなければ、殺していいのか"

 

"自分がやられて欲しくない事を、他人にしてはダメ"

"自分がやられて良いのであれば、問題ないのか"

 

など、理由を考えてしまうとどうしても逆説的な視点より論破されてしまう。

 

こういった話も書いてるので、まぁ楽しんで読むことができました。

 

 

 

 

というような、記事を書いていたら、増田で以下のような記事があり、

はてぶでホッテントリしてた。

 

anond.hatelabo.jp

 

 

結局のところ、先も書いたように理由を求めてしまっている時点で

終了な印象。 

 

根拠がないと違和感を感じる部分がもあるかもしれないが、理由のないけども社会で共生していくために、 必要な道徳的な観点というものがあり、それを無条件に受け入れるような事も必要ではないかとは思う。

 

その前提の上にたった上で、もう一つ議論にも発展するのではないかと思う。

 

 

【MBA100の基本】大数の法則?女児が来る日が多いのは?

 ジャケ買いである。このクセを治さないといけない。

MBA100の基本

MBA100の基本

 

"基本"というタイトルの通り、内容はかなり薄い。

100という数字にとらわれすぎてしまったのではないかと思う。それくらい、一つ一つ大切な事なんだろうけど、それぞれの内容が1.5〜2ページほどで完結する。

 7つの習慣は7つであのボリューム。数字にこだわることは大切だと思うが、目的を見失っては本末転倒なところもがあるが、そこは"基本"というメッセージが予防線として成立しているのかもしれない。

 

***

一つ一つのメッセージの重要性というのは、いわずもがなな部分もあるが、それは大抵いたるところで言われてるような内容である。そういう意味では本書としての独自性・新規性は皆無なのかもしれない。そのため、復習としての読むにちょうどいいくらいかなというところではあるが、テーマは幅広く扱っているので、100のうち数%は新しい発見があるのかもしれない。

 

***

一つ気になった部分があった。こちらは単純に私の不勉強ではあるのだが、

統計を扱うテーマの中で、著者は以下のような問いかけをしている。

 

A)毎日100人の児童がくる公園で女児が60人以上来た日
B)毎日10人の児童がくる公園で女児が6人以上来た日

 

こちらどちらが多いかという問い。わからない人は勉強しなさいということで、終わってる。

 

どっちだろうかなぁなんてことを考えていたが、あまり答えは出ず。で、ちょっとぐぐってみると、

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

すげーよ、知恵袋。というか、同じ内容で答えを知りたがった人がいたってところか。

ただ、回答については納得感があったが、本書においては、

答えは圧倒的にBが多い、です。

これは「大数の法則」によるものです。なぜそうなるのか、わからなかった方は、統計に弱い傾向があるといえますので、弱点克服を意識していただくといいと思います。

ってな感じで、上から目線で書いてあり、なぜBなのかの根拠は書いてない。

 

で、実際それが大数の法則なのかどうか。という点においては少し違和感があったり。いや、大数の法則に対しての理解も私自身が不十分なのかもしれない。

 

大数の法則 - Wikipedia

大数の法則(たいすうのほうそく、英: law of large numbers)は、確率論・統計学における極限定理のひとつで、「経験的確率と理論的確率が一致する」 という、素朴な意味での確率を意味付け、定義付ける法則である。

試行回数が大きくすると、理論的確率に近づくというざっくりな理解で恐縮なんだが、それと今回の公園のケースは、大数の法則としての例として適切なのだろうかと。

 

まぁそういった疑問を与えたくれただけでも、私にとって本書としては読む価値があったのかもしれない。

 

とはいえ、マーク・ザッカーバーグのDone is better than perfectなんて紹介されているのを見ると、ちょっとがっくしって気分にはなるけどね。

 

MBA100の基本

MBA100の基本

 

 

なんとなく「孫正義2.0 新社長学」を読んでみた。

IoTという言葉につられてしまったが、IoTの具体的な所は、少し少なかった感。

孫正義2.0新社長学 IoT時代の新リーダーになる7つの心得

孫正義2.0新社長学 IoT時代の新リーダーになる7つの心得

 

社長室長をつとめた嶋聡氏による孫正義に関するエピソードが中心。

Vodafone買収などそのあたりの話から、アリババの話、後継者と言われたアローラの話など。

面白いエピソードや考え方については興味深い話がちらほら。

 

引き算方式

まず、度々出てくるのが、「引き算方式」。経営としてのビジョン、長期計画を考えるにあたって、孫正義氏は「引き算方式」で行うそうだ。引き算とは、「未来のビジョン」-「現状」=すべきこと。と考える。それに対して逆に「足し算」は積み上げ方式である。まずは「現状と課題の分析」になる。引き算の場合は、目標・ビジョンが先にくる。ソフトバンクの場合であれば、「docomoを超える」、「世界一位になる」というところで、Vodafone買収になったり、アームやスプリットの買収につながる。ただ、それらの買収は容易ではなく、それを実現する上で意識している点が他にもある。

 

成功率7割になるまで考え抜く

5割に愚か。9割では遅い。7割が予見できれば投資すべき。という話。

ソフトバングについては、無謀な挑戦が多いと思われがちかもしれないが、Vodafone買収に関しても、この7割というのが考慮されている。また、リスク管理もしっかりと検討され、仮に失敗したとしても母体に損害が大きくならないように対策する。

それは「プリペア・フォア・ザ・ワースト」、最悪のケースに備えろということで、

Vodafone買収時おいても、2000億のリスクで、2兆の買収を行っている。

2000億でソフトバンクモバイルという100%子会社を用意し、その子会社が、Vodafoneの株を取得させる。ソフトバングモバイルが仮に倒産したとしても、ソフトバング本体は2000億を払う必要な怪我は負わないということ。

 

自分より優れた側近から次々と吸収する。

これは注意しなければならない。ついぬるま湯になってしまう。

before11.hatenablog.com

ちょっと最近話題になった記事だけど、

「コンフォートゾーンからものを言うな」

という話があった。興味深い。

結局のところ、心地よさからぬるま湯につかってしまい、気づけば裸の王様になりかねない。優秀な人間と接することは勇気がいる。ただ、それは成長、自分のものにしていく、組織のパワーアップと考えるか、お山の大将であるか。

 

不言実行より有言実行

まだまだあるが、もうこの辺で。

日本では影の努力というものが美化されがちである。見えない所での努力。もちろん結果の伴ってない状態での努力というのは、ひけらかすものではないかもしれない。

ただし、その見えない努力というのは、ある種逃げでもある。仮に成功できなかったとして、誰にも知られずに済むから、周りにバレることもないだろう。ただ、それでは本当の力がそもそも出せないのではないかと。逃げ道のあるような状態ではなく、有言を行うことで、自分を追い込む。そして追い込まれてこそ本当の力が出ると考えるべきだろうと。

 

 

その他、柳井社長の、「買えないリスクを考えるべき」や、「先見力を磨く」といった話など。興味深い話は多かった。

 

とりあえず生活にIoTがどんどん取り入れられることは自明だろうが、

www.nikkei.com

その中でソフトバングがどのように関わってくるのか、見てみたい気はする。

 

 

 

孫正義2.0新社長学 IoT時代の新リーダーになる7つの心得

孫正義2.0新社長学 IoT時代の新リーダーになる7つの心得

 

 

丸投げの無責任さに疲弊する

ただの愚痴である。

 

仕事をしていると丸投げという行為をうけることがある。

指示する側が、なにも考えずにそのまま全部を丸投げ。

 

こちら側の依頼に対しては、特に何もアクションをせず。

ただ、全部丸投げしてくるのである。

 

なぜそもそも丸投げをするのか。それはその人間の無責任さに由来する部分があるのではないかと。

 

そもそも内容を理解出来る能力がない。

スキルの問題である。ただし学習するつもりはない。

単純なスキル不足なので、内容を整理することもできない。確かに全く無知な人間が間に入ってごちゃごちゃされる方がうっとおしいケースもある。だったらそもそも最初から入ってくんなという話である。

 

責任をとりたくない。

トラブル等で問題が発生した場合の責任の所在を全てこちら側に向けるためとも言える。なんとも無責任な話である。呆れてやりとりするだけで体力を消耗する。

その割に関連事項は最優先なテイで依頼してくる。馬鹿馬鹿しい話である。

 

そういった人間の"ありがとうございます"ほど、心に響かぬものはない。

 

 

拡張が可能な仕事かどうか

ありきたりだが、自分がおらずとも回る仕組みが必要であるということか。

 

 

拡張可能か不可能か。

例えば、時給による労働だった場合、時間が有限である以上は、

不可能と言うべきだろう。

 

では、拡張が可能な労働とはどういったものか。

 

一つに自分の手を動かさないというのがあると考えられる。

 

もちろん元手の資金が必要な部分もあるわけだが、時給の話と同様で、

自分が手を動かして作業ができるという時間というのは有限である。

 

そのため、自分自身が直接的に手を動かしている時間を減らし、

外部などに展開をするなどしていかなければ、拡張というのは難しい。

 

ただ、たとえば単純に当方のように開発業務を外注するというものであれば、それはそれで限界もある。まずリスクが高いし、そのマネージメントも必要になる。そもそも受注マターであり、継続的に拡大していく可能性があるわけではない。

 

とはいえ、自社のサービスを展開していくというのは容易ではないが、スキルにおいては実現が可能ではある。そういった意味では収入源を複数にするということ自体は資産を拡大する上での、拡張ではある。

 

勤め人ではない自分自身の能力から一体何が収入に展開できるか改めて見つめ直し、出来ない事についても理解をしていく事も時には大切ではあるなぁと。

 

出来ないことに予算を投じることで、より大きな展開が可能なのであれば、それは実行すべきことでもある。そういった検討・考える時間というのがそもそもとれていないのが現時点での悩みというか、根本的な課題な気がする。

 

MacBook Air (11-inch, Mid 2011)のバッテリー交換

バッテリーが気づいたらパンパンだったでござる。

 

f:id:kitano_ow2:20170207014153p:plain

 

f:id:kitano_ow2:20170207014204p:plain

 

取り出した図。

 

 

とりあえず他の事例を探す。

namakeru.com

 

ありがたやたです。とはいえ、自己責任で。

 

 

今回買ったもの。

まずはバッテリー

とりあえず今のところは問題なく使えてます。

 

ただ、MacBook Air自体の裏面を開ける必要があったわけだけど、

このバッテリー付属のドライバーはすぐ欠けてしまい、使えなかった。

 

これはドライバーが悪いというより、このMacBookAirのネジがいくつか完全にダメになってたっぽい。

 

で、とりあえず、パソコン修理屋さんに依頼して、背面だけでも明けてもらうことに。

 

さらに、バッテリー自体をを外し、交換するために、ドライバーセットを

結局購入。

 

 

 

いろいろなケースのドライバーが用意されてて、けっこう良い感じ。

他でも使えそうで、買ってよかったかなと。